小説風に描きたくなって
描いてみました。
「左手で絵を描こう」と思う。
はじめて左手で絵を描いたのは、
高校二年生の時。
体育の授業で張り切り過ぎて
右手を骨折。
一番初めに思ったのは、
この手でどうやって絵を描こうか
ということだった。
そんな時先生が、
一体何を悩む事があるのか
そう言わんばかりに
「左手で描けばいいじゃないか。」と
そう言ったのだ。
度肝を抜かれた。
「あぁ、そうか。
そうだ、左手で描けばいいのか。」
ずっと当たり前に
右手(利き手)で描くものと
思い込んでいたが、
そんなルールなんてない。
自分の中の固定概念に
気づかされた瞬間だった。
その頃は、
いざ左手で描くとなると、
右手で描く時と同じはずなのに、
驚くほど緊張した。
頭には「こう描きたい!」
というものがあるのに、
思うように動かない左手に
戸惑った。
右手で描く時以上に
神経を研ぎすまし、
自分の手の動きをよく観察した。
今思い返せば、
あの時は左手で
上手く「描く」ということに
必死だった。
そういえば、
以前、鹿児島市立美術館で
開催されていた梅原龍三郎展。
そこで梅原氏が
「右利きであるのに
あえて左手で絵を描いていた」
と知った。
(梅原龍三郎氏は
京都出身の作家で
安井曾太郎と並び、
近代日本美術史を語る上では
欠かせない存在である。
桜島の絵を多く描いていることから
鹿児島と所縁(ゆかり)のある作家でもある。)
何故、梅原氏は
あえて左手で絵を描いていたのか。
何故だか知りたくなって、
梅原氏に関連する本を読んでいたら、
「こぎれいに描くことを
拒否していたからだ」
という記述をみつけた。
それを受けて改めて、
「左手で絵を描く」ということを
強く意識するようになった。
基礎を身につけ、
面白い絵が描きたいと思いながら、
まだまだ表現が瞑想し続けている私。
綺麗に緻密に描く人は
五万といる中で、
自分はどこに向かいたいのかと考えた時、
「絵を綺麗に描く」からもう一歩先へ
進むきっかけを探りたいと思い、
まずは左手で描いてみようと思った。
不自由な中の自由さを
感じながら、
こう描かなければいけないといった
何となく自分の中にある枠を
取り去って、
不器用な左手で描く線から
どんな表現を見つけ出せるか。